アトラスがプリクラから撤退ー。
と言っても、もう3ヶ月も前の事だけど、ちょっと書いておきたい。
時は、プリクラが爆発的に流行って少し落ち着いた頃。
市場調査をした結果、
フレームと合成するだけではなく、自由に落書きが出来るようにしたい。
そんな要望から、当時お絵かきソフトを作っていたうちの会社にオファーが来た。
以前、
ゲームの開発関係をやっていた事もあって、自分が担当する事に。
1998年の春の事。
当時は、落書きが出来るのは一機種だけ、コナミのプリプリキャンバスという機械があったが、発色数も
解像度も低く、そんなに人気も無かった。
そこへ来て、フルカラーの本格的な落書き機能を載せる、という提案をして、プロジェクトが動き始めた。
とは言ったものの、開発は自分ひとり。
どんな機能が必要かのアイデア提示から、それらの
プログラミングに渡るまで、全てを一人でこなす。
そして、その年の夏に、スーパープリクラ21 落書き
バージョンとしてデビュー。
ネオン風に見えるペンや、落書きすると
写真がゆがんでしまう効果なども含めて、今の落書きの礎を作ったと自負している。
また、落書きのみをこちらが担当したため、既にあるメインプログラムと短期間でうまく整合を取る為に、
モジュールはDLLで、内部で
スレッドを起こして
独立して動き、表示は仮想
VRAMをメモリ上に用意してそれをメイン側に表示してもらう、入力関係もメイン側から貰う、という一種の仮想マシンの様な構造で実現していた。
そのおかげで、後に2人同時プレイをする必要が出た際にも、スレッドを二つ(と制御の合計3つ)作る事で、比較的容易に実現出来たのはラッキーでしたが、デバッグは困難を極めた。
そして、競合が出てきてからは大変でねー。
他の会社が何人で開発しているかは知る由もないけど、こちらは一人。
もう極限状態に追い込まないと、とても太刀打ちできなかった。
結局、最後の「恋日記」を開発するまでの8年くらい、ずっと一人で開発していました。
そのおかげで精神的にもまいった事もありますし。
同時進行の別のタイトルで、別会社の担当が突然失踪し、そのしわ寄せが来そうになった事も。
その時ばかりは、正直、こっちが逃げたいくらいなのに、先を越されたと思ったなぁ。
そんなこんなで、プリクラだけで15タイトルくらいは作っただろうか。
ここ2年くらい、全然オファーが来ないなぁと思っていたら、いつの間にか撤収モードだった。
残念なようで、でも、やっと一つの時代が終わったんだなぁとか、しみじみ思う。
開発したプリクラ機
1998.5 スーパープリクラ21 落書きバージョン
1998.8 スーパープリクラ21 ポストカードバージョン
1998.9 全身プリクラ「スタイルコレクション」
1999.1 プリクラ機「マックスコレクション」、「鈴木その子バージョン」
1999.5 セルフネールアート機「ネイルモア」
2000.1 プリクラ機「プリネットステーション」
2001.1 プリクラ機「プリネットステーションVer.2」
2001.6 プリクラ機「やまとなでしこ」
2001.11 プリクラ機「8ビーム」
2002.10 プリクラ機「やまとなでしこ Ver.2」〜Ver.7くらいまで
2002.12 プリクラ機「ヒカル協奏曲」
2003.2 プリクラ機「キャットパラダイス」(日商岩井)
2003.12 プリクラ機「美咲」
2006.6 プリクラ機「天空age」
2007.6 プリクラ機「恋日記」